悩むような状態、問題を抱えているときは、対比するような考え方や価値観、ラベリング(意味付け)、ドラマ化した構造になっていることが多いように感じます。
人間関係、仕事、恋愛、生活、将来の展望、経済状況、健康、人生のあり方など、テーマはさまざまですが、そこで問題化、深刻化、閉塞感や圧迫感に通じるものが、第三密度にあるものです。
このような問題視は止めたほうがよい・・・ということではありません。
比較や対比した価値観、意味付け、ドラマにも、相応の役割があり機能を果たしています。
また、自分が直接関わる問題や悩みとしてはイヤかもしれませんが、このような構造は面白く、娯楽やある種の成長の一環にもなっています。
パートナーとの関係にどうしたもの悩まれているMさん。気が付けば歳月ばかりが過ぎ、一向に関係性が変わらぬまま惰性で繋がっておられるとか。
Mさん自身はスッキリ解消したいものの、情もあり、クリアに気持ちや行動が定まりません。
正しい方法があるなら指針にしたいというわけです。また、そもそも何が引っ掛かっているのか明らかにしたいようです。
透視カウンセリングでは、それぞれの状況を拝見するのですが、Mさんと関係者の目線(次元)や、他の次元での認識も観察していきます。
Mさんは、パートナーとのこと以外にも、関連する別の状況により、さまざまな側面が鈍った状態におられました。
人間・人生は複合的な存在ですので、これがこれの原因で、結果はこうだ、というシンプルな因果関係には収まりませんね。
Mさん「今は相手も、周りもだれも強いてくることはないので、このままでもよいのかと思っていたのですが、急に相手のことを聞かされると動揺して、どうしよう、どうしよう、となります」
そもそも、このような悩みの習慣にハマったものを紐解いていくと、「一般的によくある次元のグリッド」に沿った状態にハマっておられるようです。
たとえば、「何が正しいのか」「これは間違っている」「こうあるべきだ」「この状況はこのような意味がある」などといった無意識の思考回路が一般化しています。
周りと同調する価値観、自分ならではの基準であれ、そこにはある種の「正しい」「それが普通」が働いているようです。ジャッジはしていないつもりのジャッジも自然に作動しています。
それは当たり前過ぎて、疑わない人たちが多いものです。
もちろんそれに反駁する人たちも相当数いるものの、類を寄り集まる集合意識ですので、価値観の同一なグループを主体として生きています。
そして、「そこから外れてしまうことは、生き難いに違いない」と、疑ってさえいません。
Mさんも、このロジックによって人生を進めるのが主導になっていらしたのでしょう。
Mさんの全身が、ある映画のキャラクターのような大きな被り物に覆われており、もふもふぼんやりした状況のイメージが出てきます。
この状況を読み解くと、「ご自身が出演している、ネットのドラマ/映画を、自分自身が観ている」というものです。
問題や悩みの多くは、相手や周りを思いやっているつもりでも実際はそうでもない感情や主観により、登場人物や状況が進んでいくドラマの構造になっています。ハラハラ、どきどき、ですね。
状況や登場人物の行動ではなく、感情や思い込みがドラマのストーリーを展開させていきます。
そう、人は感情で動く・・・のセオリーです。
実際のネットドラマなどは、見始めたらまた翌週、次回も楽しみに?引っ張られるという醍醐味がありますが…この次元でエピソードが進むと、人生がドラマになってしまいます。
個人やプライベートに限らず、組織やグループ、派閥や国でも、このドラマは起こっています。
ちなみに、熱中するハマるドラマを見ると、日常の活力になるように(明日も仕事をがんばろう!的な)、ドラマからはある種の熱量をもらいますが。
単調な生活や、自分が十分に熱量を注げるやりがいや生きがいがないときにドラマが気晴らしになるように、人生でも十分に思いの注げるものがないときは、いろいろなことをドラマ化した問題に見えてしまう傾向にあります。
実際は、このようなドラマで生きるのはなかなかパワーを使い、しんどいものです。ドラマを見すぎると、テレビ・ネット・実生活問わず、寝不足と疲労につながるようです。
ドラマ化しているときの特徴は、そのドラマのなかでの「正しさ」「こうあるべき」「これはこういう意味だ」というラベリングや対比・対極する考えが軸にあります。
この脚本の軸に気づくと、ドラマから抜け出せるでしょう。
対極=バイポーラのテーマは以前のコラムでも書かせていただきましたが、ドラマ化のケースには必須のアイテムです。
対極にはたくさんの制約や条件や因果関係があります。
テレビやネットドラマのように明快ではありませんが、日常生活や普段の考え方、感じ方、対人関係のなかで、悶々と悩んだり不満や不快さを感じているときは、ドラマのアイテムが作動していることでしょう。
一人芝居でやっちゃっていることもあるかもしれません。 笑
また、うっかりこの「ドラマから抜けること」を目的にすると、同じ構造になります。
ドラマ構造やドラマがわるい、ということではありません。
ドラマをハマるもドラマの本質にご自分なりの何かを感じられるのがポイントと思われます(正解の概念がないので、いい切れませんが)。
対極は、惑星地球に北極と南極があるごとく、さまざまな相反するエネルギーによって活動しているため、私たちの思考や生き方が対極化の磁場に同調します。それは有って当然です。
しかし、地球には物理的な密度以外の領域があり、そこでは対極のエネルギーは干渉しません。
そこにおいては、「自然に任せておけば大丈夫」ということです。
対極のなかでの「大丈夫」、大丈夫か大丈夫じゃないかの「大丈夫」と質はまったく異なります。
そもそもが「大丈夫」におけるバリエーションに対して、私たちが意味付けをしていることに気づき、対極や特定の価値観を絶対視する箱から自由に出てもよくなるからです。
同じ状況、同じ相手との関わりにおいて、次元の違いで関わってみると開放され楽になります。
もっとも、これまた別のドラマなのかもしれませんが。。。