「裏切り」という言葉を聞くと、心を深く傷つける行為として思い浮かべる方が多いでしょう。
裏切る側も裏切られる側も大きな痛手を負うような印象があります。
実際には心だけでなく、命さえ左右してきた裏切りの事例は歴史上に数多く語られています。
日本史の戦国時代における武将たちの離反や、キリストの弟子ユダの裏切りなどは有名でしょう。
ユダがイエスを裏切った理由は、諸説あります。
一般的には金銭的な欲望や、イエスが自分の期待していた政治的救世主ではなかったことへの失望だとされます。しかし聖書には明確な理由は記されていません。
むしろイエスは、弟子の裏切りを知りながらも受け入れ、最後の晩餐でそれを予告したと伝えられています。
ここに「裏切り」がただの行為ではなく、人間存在そのものが抱える弱さや恐れを表すものであることが示唆されているのではないでしょうか。
あまりにも有名な話ゆえ、さまざまな見解があり、真意は謎と言われています。
現代に生きる私たちも、規模は違えど裏切りに遭遇します。
恋愛関係での行き違い、友人との価値観のずれ、仕事上の不誠実さ…。このようなご相談も少なくはありません。
裏切りの感覚は人によって異なります。
一方的に「裏切られた」と感じる出来事の背景には、相手なりの苦悩や、恐れからくる判断があったかもしれません。
一般的には裏切られる側を「被害者」と見がちですが、裏切る側にも、それなりの葛藤や恐れ、弱さが潜んでいるのかもしれません。
「裏切り」とは必ずしも他者からの行為だけでなく、自分自身への期待や思い込みに背いたときにも感じるものです。クライアントのKさんはこう話してくださいました。
「多くの人は信頼を裏切られたと感じると思うんですけど、私の場合は、相手に期待しすぎてしまったんです。同じ考えを持っていると信じていたけれど、そうではなかったと後で気づいた。それを“裏切り”と思ったんです。でも今は、それに気づけたこと自体が祝福だったと感じています」
セッションの中でKさんのハートのエネルギーをリーディングすると、不思議なメッセージが浮かびました。
「裏切りを目撃したら、それを祝福しなさい。」
それは、イエスがユダの裏切りを受け入れた姿とも重なります。
裏切りは、必ずしも誰かが「悪」で誰かが「善」という構図ではなく、むしろ人の弱さが露わになり、その瞬間に新しい気づきが訪れる場面だと考えられるのかもしれません。
ちなみに、「裏切る」という言葉の語源には「裏(うら=心の奥)」と「切る」が結びついているとか。
つまり、心を断ち切ること。そこには痛みが伴うでしょう。
歴史や物語に登場する裏切りも同様です。
明智光秀や小早川秀秋のように勝者の物語に「裏切り者」として記された人物、あるいはアニメ『進撃の巨人』のライナーのように苦悩の末に仲間を裏切るキャラクター。
そこには利害や忠義の均衡が崩れた瞬間があり、それを通して人間の脆さや揺らぎが浮かび上がります。
ここでいう裏切りとは、愛といった次元ではなく、人の関係性、集団、社会構造の基盤が忠義という契約のうえに起こるものです。
明確な利害関係、上下関係や駆け引きといったものが、ある種の均衡を保っています。
それらのバランスが崩れ、調和を保てなくなると裏切りとして明るみに出る、という具合です。
つまり、裏切りの思いがあっても表の言動に現れなければ裏切りではない、というわけではありません。
その兆しがあれば、先手を打つという手段は、忠義で成り立つ構造において権力者が行うものです。
後世の私たちは、むしろそのドラマに惹かれるのかもしれませんが。
裏切りは「悪」と断じられることが多いですが、同時に「明るみに出す」という側面も持っています。
本質的には、裏切る側も裏切られる側も同じ土俵(次元)にいます。
互いの苦悩の性質は違えど、裏切りという出来事は、健全ではない絆を終わらせ、隠されていた歪みを明らかにする役割を持つのかもしれません。
今世で、生命があるものなら、その痛みを経て、人は自分の軸を取り戻し、本質的なつながりに立ち返ることができます。
そして、裏切りによって壊れるものがある一方で、ハートの奥にある大切なつながりを思い出させてくれる場合もあります。
裏切りをきっかけに、自分の軸を取り戻したり、同じ相手との関係を調整することも可能です。
それは苦しい出来事の中に潜む「祝福」と言えるのかもしれません。
この「祝福」に於いては、同じ相手であっても、かつての次元(土俵)には存在しない、というのが特徴です。
裏切りと取れる経験を経ても維持する関係には、両者のいる環境の質が変わったことにより場合が多いようです。
もし、ご自身が裏切りのテーマの渦中にいる場合には難しいものですが、昇華した裏切りであれば「祝福」に近いものが発見できるかもしれません。
参考:(Got Questions Ministries)(日本キリスト教団横浜指路教会)