タイムトラベルツアーの体験中に「自分のことがよくわからなくなりました」とおっしゃるIさん。文字だけで読むと、哲学的な自問なのか、深刻に悩んでしまっているのか、フッとした時の気づきなのか、さまざまに受け取れます。
「自分がわからない」
「人生の目的がわからない」
「自分ならではの使命や生きがいは何だろう」
どのような口調でおっしゃるにせよ、いずれも魂としては目覚めが起こる前触れです。真剣に自問しているさなかでは、精神的に辛いときもあります。たとえば、その思わせたきっかけがあるはずです。それが仕事や活動などでこれまで取り組んできたことの方向性が変わったり、意味がよくわからなくなったり、動きが読めない(不明)などのときです。
人生に絶対的な答え(正解)はないだろう、とはわかっていても、腑に落ちるポイントを求めていて、やはりそれが定かでないと、前に進めないし、自分軸がグラグラしますね。
「自分がわからない」について、3つの切り口で書かせていただこうと思います。そして、最後に「わかり方」の方法をお伝えしたいところです・・・
(1)自分がよくわからない=自分をよく知らない
自分自身のことですが、身近な人のことほどよく知らないの典型です。部分的に知っているにせよ、未知なる自分の部分があることと、その未知なるところを発揮したり、磨くように、示唆しているのかもしれません。
いつも同じような質の生き方をしていると、自分の一部分ばかり接しています。ほかの要素が眠っているのかもしれません。文字通りの「自分をよく知らない」。
I Don’t Know Myself な「自分をよく知らない」人は、「自由」「解放」Freedom!! のスピリッツで、しがらみや自分からしがらんでこだわっているものから解き放たれましょう。
(2)自分がよくわからない=自分探し
ひと昔前のニューエイジあたりか、今でいうスピリチュアルな人たちが「自分探し」をよくしていました。独特な世界観のあった時代であり、自分探しで宇宙へ行く人たちが多く、今のスピリチュアルな宇宙へ・・・とは意味も感覚もまったく異なりました。ようは自分の居場所、自分らしくいられる場所は、この地球になく(身近な人間関係や社会など)他の惑星から着ていることがわかるなどすると、合点がゆく人々が多かったですね。
今の自分のコミュニティ、日常、職場や学校であれ、宇宙における地球であれ、この自分探しは同質のようです。
当時は、このような自分探しの人たちに対して、自分の役割や活動がある人たちからは「自分から逃げている」「自己逃避だ」と斜めから言われていました。ちょっと意地悪な言い方に聞こえますが、そして、そういう当事者も意地悪く言っているのかもしれませんが。
しかし、言葉どおり受け取ると、ご名答!
そう、自分とちゃんと、きちんと向き合っておらずよそ見をしていたり、自分の価値に(まだ)気づいていない、自分らしくない、といった理解だとすれば、だから自分がわからなくなってしまった、と言えるでしょう。
そこにくるまでの経緯で、忙しすぎたり、人の面倒ばかりみていたり、などいろいろな理由があるのかもしれません。また、実際、そのように忙しく人生を過ごしてしまい、何かのはずみに立ち止まったとき、「自分ってなんだろう」とか「一生懸命やってきたのに」などと急に不安や不満が出てくるものです。
しかし、ココで気づけてよかったのかもしれません。気づきはタイミングよく起こります。
(3)自分のことがわからない=節目
節目といえば、竹の節目。竹は節目があるからこそ伸びていきます。節目を作っているときは伸びは遅くなりますが、節目ができるとスクスク伸びるそうです。だから、竹にとって、そして人にとっても、節目はとても大切なものですね。
私たちは、人生の節目が度々あります。子供の頃は年齢による成長、社会における行事、やがて個々人の人生の節目と呼ぶものがあります。だから、自分のことがわからない、切り替わるような節目は、自己成長の証ですし、その後スクスク前進していきます。節目のさなかには、葛藤や不安があるかもしれません。
竹の如くですが、むしろ、多くの人は、わかっているつもりで、十分に自分の価値を発揮できず、自納得のゆく成長をしていないときは、節目がないままのところを生きている可能性があります。もちろん節目のないところは伸びています。しかし、不満、不安、恐れ、ストレスを受けやすいときは、とかく不本意に生きていることが多いものです。誰でもストレスがたまると、自分をどうのこうの以前に、周りのせいにしたり周りを攻撃し始めます。“自分がわからない”こと自体、そもそも気がついていません。
というわけで、「自分がよくわからない」は進化途中です。
今、新型コロナで時代も節目ですね。
「自分がよくわからない」ときの対策
GWの連休中に「身辺を片付けまくっていたら、やりたいこと、やる必要があること、やらなくていいこと、気にしなくていいことなどがわかるようになりました」というメール報告をNさんからいただきました。よかったです!物理的に視界を阻むものに囲まれていると、人生の行く手やビジョンも阻まれますね。
お片付けや、整理、断捨離など、昨今はすっかり浸透しています。これらの活動は、捨てる物、整理する物を介して、ご自分をよく知ることになるからでしょう。
「自分がわからない」ときのわかり方
7,8年前の某有名殺虫剤のCMで、有名タレントさんが「自分探し」のネタを話しています。「(自分探しに自分を)追いかけたって、自分の背中は絶対見えへんねん」と。
自分を探すのをやめると、だんだんわかってきます。物理的にココ(自分の場所)に居て考えているつもりでも、意識がどこかへ出かけていると、ココに存在している自分からどんどん離れていきます。自分に集中して、自分の思うとおりにまずやってみてよい、というわけです。周囲を気にしすぎており、気にしていて自分がお留守になっている状態にあることさえ気づいていません。
でも、長年の習性(人のサガ)でそうそう変えられないし、よくわからない?
大丈夫です。
「自分のことがよくわからない」という気がしたなら、”自分”はすぐ側にいます。程なく、遅かれ早かれ、何かのはずみで目覚め始めた自分に導かれていくでしょう。少し忍耐が必要でも、この忍耐はがんばれるはずです。
最近のZEN(禅ではなく)やマインドフルネスの瞑想で、「今ココ」にある意識を大切にと言われるのは、言っていることは同じですが、自分探しに当てたものというよりも、集中力や効率性を高めるとこに主眼を置いていると感じます。自分を深く知る、感じ入るための「今ココ」としては、まず自問する「わからないこと」をしっかり噛み締める、自分と一緒にいる、「今ココ」です。すぐ側にいる自分に気づけますように。
ガチな本質の「自分探し」は、あなたはあなたなので、あなたにしかできないことです。わかり方も千差万別。
好きなことをやっていい、自由にしていい、あるがまま、自分のことが一番わからない、「青い鳥」の物語・・・枚挙にいとまはありません。
そして、「自分のことがよくわかった」となどと思っているときは足を援われぬよう要注意です(苦笑)