欲が多すぎるほと、苦労や煩悩という負荷がかかるのはよくご存知だと思います。
良かれと思ってやり過ぎるのも欲です。
大事なことを怠けたり、サボるのも欲です。
何か絶対的に良いとされている方を向き過ぎても、欲のラインを越えると欲張りになります。欲張りという基準は、一般的なものから、あなた自身のラインが決めるもの、はたまた天が定めるときもあるでしょう。
日常的に、自分はそれほど欲張りだと思っていないのに、欲張りのために、苦悩を感じ、実際に苦労の種を自ら発展させることがしばしばあります。
いわゆる頑張りすぎ、高望みが過ぎる、などは微妙に難しく、欲張りのカテゴリーに入ることがあります。
頑張る、高みをめざす、といった背後に、不安や甘え(甘さ)があるとき、単なる頑張りや上昇志向ではなくなっていきます。むしろ、頑張るほど報われないとか、目指すところに到達できない焦りが増してきます。
今回は、欲張りになっている人や、つい欲張りになっている状態のとき、忘れているものを4つお伝えしたいと思います。欲張り傾向や、そもそもの欲張りの本質を解放するヒントになるかもしれません。
1. クリアな自分基準を忘れている
クリアな、とは、明晰な心の状態(意識、本意、意思など)です。クリアな自分基準が十分であれば、足りている、満たしている、という基準が感じられるでしょう。
放念すると、基準が欲張ったほうの自分やエゴになります。
欲張った自分基準は、概ね、〈他人や周囲からの評価基準を自分のエゴで満たす〉ことが基準になります。
少しややこしいですね。
他人や周囲というのは漠然としており、流動的で相対的です。それらを自分のエゴを満たすために、基準のものさしに使います。
すると、必要のないものをかき集めなければならず、使いたくたいお金や労力を使ったり、常に漠然とした周囲の顔色を伺うような心の状態になります。
かなりしんどそうです(汗)
自分のエゴの想像した、他人や周囲の価値を常に満たすことで忙しくなり、落ち着きません。でも、それを叶えないともっと不安になります。
欲張る態度が身に付いてしまう背景には、人に依存するような意味合いの「甘え」と、ツメが緩いときに使う「甘さ」の両方が関係しています。それ以外のさまざまな要素の絡み合いが考えられますが、今回は「甘え」と「甘さ」に特化します。
甘えと甘さ
そもそも「甘え」とは日本人論のなかで語られるほど、日本人特有の気質だと言われます(大学時代の課題で読んだ記憶です 「タテ社会の人間関係」ー中根千枝)。
甘えには、自律心を阻むものがありますが、上下関係や和の秩序を保つ働きがあり、それが馴れ合いになったり、心地よい安穏とした関係をつくります。日本社会構造の根底にあるものです。
「子供を甘やかす」とよくない、と言われるとおり、この甘えの経験が、もっともっとと欲張り気質を形成してしまうことが多いとされます。
新しいものに目移りしたり、人のモノが(人のモノだからこそ)欲しくなったり、人と比較して自分のプライドを満たそうとする、といった性質になりやすいのですね。子供時代の環境や教育が影響することはよくあります。
実は「子供の頃は、欲しいものをもらえなかった」「全然親が厳しくて甘やかしてくれなかった」「ほかのきょうだいのほうが甘やかされていた」というエピソードのお持ちの方も、エピソードの裏返しを大人になって満たそうとします。
エピソードがポジティブであれ、ネガティブであれ、それらが基準であるなら、先ほどの「クリアな自分基準」から乖離しますね。
もうひとつの「甘さ」は未熟さや無知(実経験の不足)によるツメの甘さです。
特に、自分の未熟さや無知に気づいていないときに、この甘さが発揮され、欲張りになります。
現代だと、情報や知識が抱負なため、実際に経験し消化したような錯覚をするゆえの甘さもシビアなものです。
すると、この甘さによって、もっともっとと、欲張りに覇者をかけてしまうようです。
未熟さや無知がいけないのではなく、そのことに全く気がついていない段階は、なんでも必要に感じられます。皮肉にもそれが消費社会や物欲&精神欲構造を満たす、欲張りの刺激になっていたりもしますが・・・
それもクリアな自分基準によって満たされるまでのプロセスかもしれません。
2. 楽しむこと、楽しみ方を忘れている
欲を満たすことが楽しいと麻薬的な中毒になります。
本当に楽しいわけではなく、擬似的なものを欲で満たしているため、代償としての楽しさや満足感になります。
でも、偽モノのため、いつまでも足りることはなく、場合によってはどんどん目減りしていき、満たしているようにみえて、困っていくケースもあります。
満たそうにも、どんどん減っていく…問題を減らそうとしてかえって増えるようなことがあるでしょう。
これも、本質的には、不鮮明な欲が関係している可能性があります。
人それぞれ細かいエピソードは異なりますが、本当は求めていないモノを必要だと欲張っている構造があります。
すると、概ね「本当は楽しくない」とどこかでわかっているはずです。
ときには、「楽しいふりをしている」「無理をしている」などと気が付くフシがあるはずです。
先日、ソルフェジオ周波数を用いるデトックスセラピーを体験したEさん。396Hzの音から連動した感情は、
Eさん「もう過去のことですが、昔、好きな人にストーカー的にいろいろしちゃったことです(苦笑)。彼に好かれなければ、愛されなければ、将来のパートナーになってもらわないと…とかなり押し付けまくっていて。
でも、相手からはうまくかわされていたのかな、空回りでした。彼と一緒になれたら楽しいと思い込もうとしていたというか….」
Eさんの微妙な心情には、愛情や思いの底に、無理のある欲が張ってしまっていたのでしょうか。
無理をするときほどに、楽しいはずのことはどんどん褪せてしまいます。
3. 意欲を忘れている
ところで、欲というと、お金や買物(出費)を連想しやすいと思います。
当時は必要だと思い込んで消費したために、後からお金で困ることがあります。ローンの返済や、支払への緊張ですね。
このようなケースでご相談されるクライアントさん方は、ほぼほぼ、お金そのものがテーマではありません。後者であれば、金融関係に行かれるはずですから。なんらかの引っ掛かりにご自身でお気づきのことが多いものです。
Kさん「ずっと長い間の返済が溜まっていて、毎月考えて返済し、どうしようもないときは、返済計画をたてて借り入れをしています。今の収入で、家族と一緒にやっていくのに精一杯で、いつになったらちゃっと返済しきれるんでしょうね?
以前ほどネガティブに落ち込むことはなくなりましたが」
一時的な社会情勢や、人生のトラブルを除いて、慢性的にお金の問題が大きくなるときにも、潜在的に欲のバランスが関係しています。
大小とわず、入るものと出るもののバランスが乱れていることが多いようです。
同じ欲でも、純粋な気持ち(エネルギー)から起こる意欲(やる気)が落ちてくると、収入なり、支出のバランスが乱れてきます。意欲が失せたり、ネガティブな意欲が働くことで、健康や体調、行動に現れたり、人間関係や考え方に投影されたりします。
その乱れのツケのようなものが、お金の問題をふくらませていきます。
それだけが理由ではなく、ときには一個人ではなく、家族や人間関係や組織の関わりによって乱れることもあるでしょう。
何かしらの乱れや不調、不摂生がミックスすることで、自分では理由のわからないスパイラルに入ることもあるでしょうが、そのようなときは欲を調整することを意識してみましょう。
日常的な地味な行動、考え方に節制をもっていくと、先の「甘え」「甘さ」に関与することが少しずつ是正されていきます。
小さなことに楽しさやありがたさを発見する機会に恵まれていくでしょう。
さらに、自発的な意欲をもてるものが、ひとつでも取り組めるようになると、徐々に欲によって作りだされた問題も解消されていきます。
なお、文字通りショッピングや浪費、必要以上のものにお金を投じた結果の場合は、クリアな自分基準でないところで無駄使いをしてきた可能性は高いですね。
それを精算したときには、人生の授業料の価値を得ていると思われますし、そこまで至るとスッキリするでしょう。
4. 寛容と優しさを忘れている
寛容や優しさは、欲の対義語です。
欲張りスイッチが作動しているとき、うっかり寛容さや優しさ、という余裕が失せていることが多いようです。
飾ったような寛容さや優しさではなく、持ち前の自分らしい寛容、優しさを意識して、自然に周りに接してみましょう。すると、欲を手放したことにより、相手やまわりから、与えてもらえる何かを受け取り、それらは、あなた本当に求めている”何か”と匹敵する可能性があります。
擬似的に欲張る振る舞いをすることで満たしていた“何か”をあらためて発見できるかもしれません。
たまに、積極的でアグレッシブな人を「欲張りさん」と好意的に言うことはあります。
このような欲張りさんは、その取り組みを楽しんでおり、評価基準は他人や周囲ではなく自分にかかっています。また、その人なりの加減や満足のラインを心得ています。ピュアに、意欲的に取り組んでいる欲張りさんです。