潜在意識系ワークショップ「タイムトラベル」シリーズのトラベル3「アカシックレコードとワンネスへの階段」の中に、自らをコントロールしている意識を手放すワーク(マインドコントロールをリリースする)があります。
他人からマインドコントロールをされるのは嫌悪感や、場合によっては恐怖さえ感じるでしょう。洗脳やドラマチックな催眠コントロールなどは怪しく警戒するものです。
しかし、それを自分にやっちゃってる・・・という現象が、意識の世界では“あるある”なのです。
マインドコントロールは、それをされているとバレないのがミソです。周りから「あなたはコントロールされているよ」と言われても洗脳済みの意識を目覚めさせるのは難しいです。
それを自演しているのが、セルフマインドコントロール。
マインドコントロールは、もともとは恐れから派生するもので、三次元領域のなかでも重たいガスのような想念です。自由さや臨機応変さに対しても、ずっしり重りのような作用があります。
これが働くと、アカシックレコードやワンネスの階段へあがろうにも、一時的な現象にとどまるか、自分のなかで意識を使いわけるような生き方になります。
知識や情報としてワンネスを理解していても、体現ができず、ジレンマや葛藤にもなります。
そもそもコントロールする必要がなく、コントロールのしようもないものをコントロールしなくなくてはならないと考えます。
自分が周りにコントロールされて思うとおりにいかないと苦しむこともありますが、そのように見えているだけのことが多いようです。そして、コントロールされない精神宇宙を愉しむ時間と、コントロールしなければならない「現実」(と区別している)での在り方を行ったり来たりします。
それでも、まったくコントロールするばかりの世界だけにいるよりは、かなり楽ではあります。
しばしば、セラピーのなかではこのようなコントロールを緩めること、状況に任せることを「リリース」すると言います。日本語では「手放す」「解放する」という意味合いになります。
なんで、カタカナ語なの?と思われそうですが、洒落ているわけではなく、リリースには「解き放つ」「(釣った魚を)解放する」「(映画、音楽、ソフトなどの新作を)公表する」などのニュアンスもあります。
マインドコントロールにも、広いところに放つようなリリースを含みます。
前出の「マインドコントロールをリリースする」ワークでは、自分の「宝物」である大事な何かを、あえて手放すというスクリプトを体験します。大事なモノは、実際に保管している大事な何かであったり、思い出、ある人物や関係性、能力、実績、…ほかにも夢や、お金!などもあり得ます。
このワークをやり始めるときは、みなさんは、その特定のモノに対する執着やコントロールを断捨離のようにリリースするのだと考えるようです。
でも、ワークの本質は、モノは何についてでも良いのです。
コントロールしよう、どうにかしようという意識をリリースするのが目的で、そのモノに対するエピソードは演出のようなものです。
後日、別のセッションでお会いし、どのような体験をしたか伺うと…
Nさん「ワークの入りは(特定の)人でやってみました。いろいろ思い当たる展開があり….自分がコントロールしたがっていたのは、なんとその人に対する『未練』だったんです!笑えるようで納得もできました。この人に対してだけじゃなくて、意外に私は未練を抱えて生きてきてるな、と思いました」
Nさんは表の印象はスッキリ、サッパリ明るい方ですが、Nさんならではの『未練』にエネルギーを投じてきいたのでしょうか。
Nさんご自身なのか、Nさんの極身近な人のなかに、後悔や「もしも」といった悔いる思いを抱えている場合、『未練』を通した目から、目の前のことをコントロールする習慣になりやすいようです。
一旦、気づけば、これからは同じようなセルフ・マインドコントロールはしなくなるでしょう。
セルフマインドコントールと、自分の自由意識によって決めることは、表面的には同じに見えるかもしれません。
しかし、似て非なるものです。この違いの目安をいくつかご紹介したいと思います。すべて当てはまるとは限りません。
◉ セルフコントロールは、自我(エゴ)によるものです。自我は発達段階において大切な芽生えですが、大人になってあまり自我が強いなら、結局はエゴ主体でいるご本人が生き難く辛く感じます。
自分の自由意志で決めているつもりが、あまりに忍耐や我慢が強いようなら、どこかで軸がブレたか、目的を間違えている可能性があります。
目標や望むものに向かうときの忍耐や我慢には、そのプロセスにおいて、部分的な達成感や段階的な満足などがあるはずです。
◉ なにげに周りの状況や、対人関係が絡むことに関して、相手側をなんとかしよう、と思っているときは、セルフコントロールです。
セルフコントロールや執着が強いときは、他力になりますので、周りのせいで物事がうまくゆかないと捉えがちです。
そして、自分の描いている絵柄のなかでコントロールしようとします。
自分では直接どうしようもないものに頼っているときは、コントロールしていないかチェックしてみましょう。
◉ セルフコントロールが働くと、選択肢が絞られすぎるか、視野が大変狭くなります。
狭くなり、限定的になると、さらに不安になり、なんとかしようとコントロールしたくなってしまいますね。
そんなふうに自分のマインドが働いていることに気づけたなら、そのポイントでコントロールはすこし緩むでしょう。
◉ 先行きや結果がそれほど気にならず、心配にならないようなときは、自由意志によって、自分の思うとおりマイペースで向かっています。
そもそも宇宙意識には、絶対的な終わりはないのですが(たぶん!)。
一方、コントロールの世界には、ゴール、結果、決着、終わり、のような人工的な伏目が設けられています。これは、限られたゲームのような活動や生き方をしているときには力をのばしますが、そのゲームや活動や生き方は、何モノかによってコントロールや管理されているはずです。
このようなコントロールは、ちゃんと考えられたルールや期限があるうえでは成り立ちますが、人生という尺や、ある程度進化した生命体にとってはその本質的な可能性を十分には引き出せないものです。
◉ マインドコントロールを使っているときは、本当はとても苦しいはず。
周囲にその苦しさや無理を気づかれないよう頑張っているかもしれませんが…(どのみち、他人はそれほど気にしていない模様)自分のコントロールがそもそも一番のネックなのではないか?と、力を緩めてみるとよいでしょう。
当事者の自分は、自分の性分が当たり前すぎて、非常に自覚しずらいのですが、コントロールやそこからくる力みが強い人は、特定の人から(ときには過去に強い影響を受けた人)、または漠然とした世間体からの評価や意見や価値観を優先しすぎているようです。
それらによって、自らがコントロールされ続けているために、自分に対してさえもどうにかしようと、自覚のない圧や苦しさで立ち振る舞い続けるのかもしれません。
一旦、気づきの領域にはいれば、思いのほか、変化や進展が早いものです。
スムーズに動きはじめ、なによりご自身が「以前より楽になったかも」と感じたら、セルフコントロールから抜け出してきているサインといえるでしょう。
コントロールをリリースすると、いよいよ、本質的に自然な状況へと展開をしていきます。
それまでは、下方から重しをつけて引っ張られており、高次元領域の計らいが停滞しているように観じるでしょう。
もっとも、そのようなコントールや停滞の状態も、ワンネスのなかの、とあるフェーズとなのかもしれませんが。