昨今では、決められた量を超えて医薬品を摂取することを指して「オーバードーズ(OD)」という言葉が使われています。
一般の市販薬を症状の緩和目的ではなく、気分や感情の変化を求めて過剰に服用する行為です。
「オーバードーズ(Overdose)」とは文字どおり、規定量を超えて(over)服用(dose)することを意味し、精神的な苦痛から逃れようとしたり、多幸感を得ようとしたりする際の問題行動として注目されています。
急性薬物中毒そのものは昔から年齢を問わず存在していますが、近年は統計的に10代、20代に多く見られる傾向があります。
当事者にとって、オーバードーズがそれほど深刻な問題になるということは、十分には自覚されていない場合が多いようです。
薬物であれば、脳や内臓など身体への悪影響があり、意識不明に至るケースも見られます。服用がだんだん増えていくうちに、判断力が麻痺してしまうこともあるでしょう。
一時的に苦痛から解放される快感や心地よい感覚にハマってしまうのです。
さて、本質的にオーバードーズと似た現象として、今回は「御利益(ごりやく)」を挙げてみたいと思います。皆さまにとって御利益とはどんなものでしょう?
決して新しい表現ではありませんが、スピリチュアルの領域では、運気の上昇、物理的な利得につながる観念や価値観、あるいは比喩的に「魔法を使えるようになる」というような捉え方をされることもあります。
旅行感覚でパワースポットを巡り、特別なパワーにあやかろうとするのも、わかりやすい御利益の例でしょう。
「良いことは多ければ多いほどいい!」という考え方から、実は「御利益のオーバードーズ」と言えるような状態になる方々もいらっしゃるようです。
幸いなことに身体と感覚は繋がっていますから、御利益の摂りすぎによって不調が現れたり、ふとした瞬間に違和感を覚えたりする方もいます。
カウンセリングの中で、Nさんがこんなエピソードを語ってくださいました。
「パワースポットと呼ばれる神社に何度も出かけているうちに、突然、体から意識が抜けるような高揚感があって、怖くなったんです。
ものすごく幸せな感覚だったんですが、このままだと地球から離れてしまうんじゃないかと思いました。でも、すぐに子どものことを思い出せて良かったです」
また、Sさんは次のように話されました。
「長年傾倒しているお坊さんの講話を聞きに行った時でした。そのお坊さんは特に宗教色が強いわけではなく、世の中の話を面白く語ってくださるのですが、ある時突然、吐き気がしたんです。お坊さんというよりも、そこに大勢集まっている人たちから嫌な匂いがするような感覚でした」
Sさん自身もその理由ははっきり分からず、単なる偶然かもしれないと戸惑いながら話されていました。
このような経験は、明確な原因があるとは言えない領域で起こるものですが、自分の中に備わっている微細な感覚をしっかりと感じ取っているのでしょう。
相手や場所が自分の波長と合わなくなることもあります。美味しいものや健康食とされるものをたくさん食べられる人もいれば、一定量を超えると身体が拒否反応を示す人がいるようなものです。
通常は何度か違和感や変化を感じ取る機会があるものですが、一線を越えてしまうと自分で気づくことが難しくなります。頑張りすぎている人が疲労を感じなくなってしまうように。
体質や気質、個人の状況にもよりますが、いつの間にか「もっともっと」と追い求めるようになってしまう段階では、比喩的に言えば風俗サービスにハマっていくような状態にも似ています。
どこかでセーブしなければいけないという意識がよぎりつつも、情や欲に流されてリピートしてしまうのです。
そして、満足や楽しさを得たように感じながらも、実は自分のエネルギーを少しずつ消耗していきます。
何より、自重することができないということは、調和や満足が適っていないのかもしれません。
世の中には「御利益」とされるものがたくさんありますが、その多くは様々な“プロモーション”によって価値付けられており、まさに玉石混交の状態なのかもしれませんね。
御利益の本質は、誰かが個人的に所有できるものではなく、巡り巡ってゆく性質、あるいは他者に提供することで生まれる性質があるように感じます。
さらに言えば、御利益自体の価値とは別に、それを受け取る側が、その価値の真価を都度決めているとも考えられます。これは薬の服用が決して単純な問題でないことにも通じるでしょう。
ちなみに、オーバードーズは依存性のある中毒行動(アルコール、ギャンブル、ニコチン、ゲームなど)に似ているように感じられるかもしれません。
一般的な中毒対象はその弊害が比較的広く知られているのに対し、オーバードーズの対象となるものは、本来、妥当な目的や使い方(用法)を守る限りでは役立ち助けになるものです。
対処的には妥当であるにせよ、御利益(役立つもの)を求めることになる慢性的な状態に意識を向けることが大切であることを、オーバードーズは知らせているようです。
何かしらご参考になれば幸いです。