ここでいう「問題」とは、悩みの対象、トラブルのことです。
突き詰めれば、悩みや個人的な問題は、当人が「そうだ」と決めている・・・と言っても過言ではないでしょう。
同じ当人でさえ、時期や視点が変わることで悩みが軽くなったり、悩みが豊かな実りに転換できることは少なくありません。
また、悩みと間接的に関係する別の能力について、考え方の順番を変えるだけでも、問題から解放されることがあります。
クライアントさんの「問題」の内容は千差万別ですが、そこには共通する質のようなものが見えてきます。
近年は、ご本人にとって「そこまで問題視する必要がない質のもの」について、とても心を痛めたり、深刻になっていらっしゃる方が増えているように感じます。
もちろん、メディアやSNSには「問題」をピックアップして広めるという特徴があります。
そこに多く触れれば影響を受けますし、むやみに影響を受け続けることで疲労を伴い、自他の区別なく問題視する習慣が身についてしまっているのかもしれません。
皮肉なことに、余計な問題視をすることで、肝心なものから目を背けてしまったり、見失うリスクもあります。
問題視は、視野を狭め、限定的な情報ばかりを収集させます。
この習慣が日常の思考を占めると、その窮屈な感覚のまま、さまざまなことについて圧迫感や違和感を受信しやすくなります。
そこには相当な時間や労力を割いているのですが、そのこと自体には気づきにくいものです。
さらに問題視は、そこへ集中力を注がせますので、当たり前にある静かな恩恵や、ありがたいと感じるゆとりを鈍らせていきます。
すると、頭では「ありがたい」「恵まれている」と“わかっている”ものの、それらを深く感じる力が鈍化するわけです。
問題視の状態では、感覚よりも思考が優位になり、思考でなんとかしようと頑張るようになります。
他者、メディア、社会や環境の問題について、関心を持って取り組むことと、それらを「問題視」することは似ているようで異なります。
後者は、過度に攻める対象を設けたり、白黒をつけることに囚われたりする点が特徴です。
問題視をすると、理解や解決へ向かうための活かせるエネルギーが、問題に巻き込まれることへ費やされていきます。
「問題視」の対象は広がりやすいのですが、パーソナルな範疇で「そもそもそれって問題なの?」ということまで問題視してしまっているときには、いくつかの特徴があります。
• 人に話すと、率直に「それは大丈夫だ」「大変なことではない」と返される。
つまり、客観的に見れば問題ではない、という証言が得られる。
• ひとりでやっている、または自分がやらなければいけないことが多い。あるいは、そう思い込んでいる。
「問題視」している件とは別のところで、何かをお一人で頑張っているのかもしれません。ひとりで考えている/自分だけ負担を抱えている、など。
• 過去や半生のなかで身近に問題が多かった。
そのため、常に何か問題がある状態が自然に感じる。あるいは「何も問題がないと、まずいのではないか」という無意識の心理が働いている。
• 「問題視」している件とは別に、あなた自身がちゃんと取り組むべき課題を放念、または放置している。
この場合、そちらにきちんと取り組むことを思い出すと、問題視が消える。
なかには、「自分にとっては問題ではあるけれど、過度に問題視している部分があるなぁ」という状況もあるでしょう。
冷静な自分は、深刻になりすぎていることに気づいている。
けれど一方で、問題視を止められない。
あるいは、日中は大丈夫なのに、夜寝るときや目覚めのときに、ふっと嫌な問題視が起こる――そんな経験をする方もいらっしゃいます。
「うまくいっていること」を書き出したり、心で唱えるといった自己啓発的な方法は、さまざま紹介されているでしょう。
また、ある種、不自然に問題を捉えているわけですから、自然に触れたり自然のなかで過ごす経験は、軽度のものであれば、ゆっくりと是正してくれることがあります。
クライアントさんのなかには、ご自分の問題を乗り越えたり解決し、しばらくすると、その先に新たな問題視を始めるパターンを持っている方々がいらっしゃいます。
「一緒に暮らしたいと思っていた相方と、念願が叶った」
「家族が抱えていた負債を完済した」
「家庭内のトラブルが終わり、暮らしが落ちついた」
「子どもが大きくなり、手がかからなくなった」
「自分にあわない仕事を辞めて、転職できた」
長らく問題だったものが終わると、これらの先に、まるで新たな問題が起こったかのように感じられることがあります。
それらが本当に問題なのか、問題視なのか、あるいはその両方なのかもしれません。
「一難去ってまた一難」「良いことは長く続かない」――こうした言葉は、問題視のプログラムが働いている可能性もあります。
まさに “Life is problems” だと思っていらっしゃるのかもしれません。
これはつまり、問題であれ問題視であれ、それらはすべて貴重な糧である、と言っても過言ではないでしょう。
ところで、イヤーリーディングの項目のなかに、干支にちなんだ諺や故事に由来する部分があります。
「人間万事塞翁が馬」について、Cさんには、オセロの盤面に、まだ白くひっくり返していない黒番が多くありました。
これは、今はまだ不幸や難だと認識している経験(黒番)が、これから幸い(白番)に変わる可能性を示唆していました。
つまり、二つに分類しきれないものの、問題視していることは、二つ以上の(あるいは創造的で多次元的な)エピソードでもありうる、という具合です。
問題視を強めても良くならないときは、その“問題”そのものより、視座のほうに課題があることが多いようです。(社会問題でも然りです。)



















