時間や歳月に沿って物事を考え、日々を生きることが当たり前になると、物事を前向きに捉えたり、将来について考えたりするときにも、おのずと過去やこれまでにあったことを土台にして動こうとします。
「これまでとは違う生き方をしよう」「もう過去には戻らないようにしよう」と思うときでさえ、そこにはやはり、過去を意識するという起点があります。
それが時間の構造によるものなのかどうかは、わかりません。時間の流れには、人間関係をはじめとするさまざまな要因が結びついているため、物事はより複雑に見えます。しかし、大まかにいえば、私たちは「過去」というカテゴリーに含まれるものを参考にしがちです。
それが個人の性分のようなものになれば、たとえば、新しいことや未知なるものに取り組む姿勢にも影響を与えるでしょう。
過去という場所に蓄積された経験から道が分かれるとき、人は「転機が訪れた」と感じ、時間軸に沿って積み重ねてきた経験から自由になる機会を得るのかもしれません。
正確には、過去や未来というものは、必ずしも時間だけを土台にしているとは限らないのかもしれません。私たちが「過去」「未来」と認識している、ひとつの位置づけにすぎない可能性もあります。
真相はともあれ、過去の経緯や今に至るまでの出来事から影響を受け続け、それに簡単には抗えないことは非常に多いでしょう。
堅実で真面目なクライアントさんほど、これまでの経緯や背負ってきた責任を引き継ぎながら、「これから、どうしたらよいのか」というところから悩み始めます。
「これまでにあったことや過去は気にしない!」とは、なかなか思えないようです。
何かに啓発され、「一から始めればよい」と気持ちのうえでは思い立っても、いわゆる現実のなかでは、過去から続く役割を果たしていかなければならない時期があります。
「過去から未来をつくる」ような生き方は、とくに親子関係や家族関係に感情的な課題を抱えている場合に起こりやすいでしょう。
先代や両親とは異なる環境や職業、状況、考え方を選んでいるとしても、その土台には、過去を参照し、過去に気を遣っているような構造があります。
もちろん、そのなかには安定や支えになるものもあります。一方で、反面教師として「こうはなりたくない」と思っていることも、意外なほど、過去から受け継いだ性質とつながっています。
なお、反面教師と呼ばれるものは、本質的には同じものを、見せ方だけ変えて表している場合が多いようです。
近年の志麻ヒプノのケースでは、親子や家族のあいだにある「過去から未来をつくる」構造が、高齢化や介護などの事情によって、結果的によい形でほどけていくことがあります。
お互いが過去に交わした契約――「そういうものだ」と決めているルールや価値観、役割など――が自然に、有機的に変化していきます。過去が終わり、それぞれが「今」の状況になじんでいく、といった具合です。
過去を参考にしてうまくいくなら、それでよいでしょう。
しかし、うまくいかないときは、「今」に焦点を当てることで、新しい、よい意味での想定外の展開が起こりやすくなります。
その途中では、「この先、どうなるのだろう」「先々がうまくいくために、今、どうしたらよいのだろう」という思考の癖が現れやすいものです。ただ、これも新しい状況に適応していくプロセスの一部だと思われます。
家族や他人を含む将来、あるいは今後に対する不安は、おおむね「今」、自分がつくりだしている不安や危惧です。
たとえば、「もし自分が離婚したら、あるいは再婚したら、うまくいくのだろうか」と、パートナーとの関係の将来を考える方がいます。一見すると、現実的で堅実な考え方のように見えます。
先日、あるクライアントさんに、パートナーシップについてコーチング的なワークをしていただきました。そのなかで、その方は先を案じている自分に対し、「先のことを心配しているけれど、結局、あれこれ調べすぎて、『今』の不安を自分でつくりだしている」と気づかれました。
「もしも」という仮説に沿って考えることは、道理にかなっているように思えます。しかし、自分のなかだけでシミュレーションを繰り返しすぎると、神経に負荷がかかり、次第にわけがわからなくなってきます。
つまり、想像以上に疲れ、消耗するのです。
「この先、自分にふさわしいパートナーが現れるのだろうか」「今の役職を続けていて、さらなる発展があるのだろうか」といった懸念を抱える方も、よくいらっしゃいます。
もちろん、ケースバイケースで、具体的に検討すべきポイントがある場合もあります。
一方、大きく捉えてみると、自分自身の経験や他者の過去の事例を集め、それらを材料に未来をつくろうとしている傾向も見えてきます。
では、「過去にとらわれず、新しいことをやればいい!」のかといえば、すぐにそうなれるとは限りません。過去にあるものからエッセンスを引き継ぎ、それをもとに、創造的に新しいことが起こっていくのかもしれません。
ただ、「過去から未来をつくる」という意識は、私たちが思う以上に広く浸透しています。その構造から解放される視点を持つことが肝要です。
そのきっかけとして、「複数の時間軸が流れている」というマルチバース的な発想は、これまでの“現実”についての思考や生き方に、風穴を開けるものだと思われます。
レイ・カミングスのSF小説『The Girl in the Golden Atom』には、登場人物の言葉として、次の一節があります。
「時間とは、すべてのことが同時に起こらないようにするものだ」“Time is what keeps everything from happening at once.”
過去から未来へ向かう時間の流れは、ある種の秩序を保っているのでしょう。身近なところでは、電車や航空機などの交通機関の時刻表が思い浮かびます。
一方、私たちが心のなかでいつも使っている時間は、もっと自在な流れを持っています。
性質の異なる時間が持つ特徴やルールを混同しないよう注意する必要はありますが、そのなかには、「今」という地点を起点に創造することに特化した時間もあります。
そこには、「過去から未来をつくる」という定義がありません。そして、この「今」には、かなり漠然としたものであっても、未来の可能性を加えることができます。
「今」と「漠然とした未来の可能性」。その二つの地点をつなぐものは、曖昧で感覚的です。それでも、そのどちらかの地点に直感的な魅力を感じるなら、過去と未来を限定する枠組みから自由になり、あなた自身の未来をひらいていくことができるでしょう。






















