死生学というと、とかく死のほうにテーマの関心が向きがちですが、生の側面にも焦点を当てています。
それは、死と対比される生そのものではなく、「いかに生きやすく生活できるか」という視点です。
身体が健康であり、いわゆる死活問題を抱えていないとき、私たちは普段、死について深く考えず、生きるための物事に意識を向けていることでしょう。
学術的な観点では、例えば障害や生活保護を必要とする人々など、一般的な基準から見て「生きることが困難」とされる層を対象とする視点があります。
また近年注目されているのが「生きづらさ」というテーマです。
この概念は主に若者世代から声高に発信され、臨床現象学などの観点から研究される動きが広がっています。文化や時代によって、生きづらさを訴える層や、その対応策は変化するでしょう。
みなさんは、生きづらさを感じたことがありますか?
それは過去の話でしょうか?
あるいは、周りに生きづらさを口にする人や、口には出さないけれど態度や行動からそれが伝わる人がいるでしょうか?
物理的な要因による生きづらさは、たとえば、経済状況の影響が挙げられます。
インフレや物価の高騰は生活に直結し、そこから精神的な苦しさにつながることがあります。
また、職場環境、人間関係、家族内での居心地の悪さも生きづらさの一因です。
特に家族関係で悩むクライアントさんの中には、親子、夫婦、きょうだいなどの関係で何十年も生きづらさを抱えている人が少なくありません。
さらに、時代の価値観や世代間のギャップに違和感を覚え、社会的な生きづらさを長期間感じることもあります。
その時代の渦中では生きづらさが当たり前であっても、時代を経たとき「今の時代の価値観な楽」と思うようなことです。
他国の人々と交流する中で、異文化の方が自分に合うと感じるケースもあれば、逆に文化や習慣の違いから生きづらさを実感する場合もあります。
精神宇宙的な領域やスピリチュアルなアプローチは、学術的視点とは異なるものの、意外と共通する発見があると私は感じています。
そして、生きづらさというテーマは、私がヒプノセラピーを始めた20年以上前から接点があるものでしたが、それに気づいたのはつい最近のことです。
(今さらながら)興味深いことに、自分を「宇宙人由来」と考えるクライアントさんも少なくありません。
そのような方々は、自分の記憶や他者からの情報を通じて「特定の惑星にルーツがある」と感じたり、それが腑に落ちたりすることがあるのです。
最近では、こうした情報源がバラエティに富んでおり、影響を受ける側面も否定できませんが、どこかしらの共通点を見出している方もいます。
宇宙人由来/ルーツとされる人々には、生きづらさを感じるエピソードが多いようです。
例えば、家庭に馴染めない居心地の悪さ、孤独感や疎外感、仲間外れやいじめ、自分の親や家族が本当の家族ではないように思える感覚などです。
以前、とあるヒーリング系の集まりで出会ったKさんはエネルギーワークに優れた方でした。
そのKさんが「父親とは魂の出身が異なる惑星だから、自分とは本当の親子ではない」と語ったエピソードが印象的でした。
実際、親子関係は疎遠で、「一生許せない」という過去を抱えているとのことでした。こうした話は、社会や文化が捉える親子関係を超越した多次元視点から見ると、不思議ではないのかもしれません。
セッションに訪れる方の中には、「自分が宇宙人なのか」を確認したいという方もいらっしゃいます。
あるケースでは、正直なところ、「宇宙人が私に会いに来た」と強く感じたこともあります。
“なんかよくわかんない” 話だと思われますよね(それが地球上ではフツウだと思います)。
ところで、「地球にはたくさん宇宙人が来ている」という話を耳にしたことがある方も多いでしょう。
地球と物理的に離れた領域では、時間や空間の概念が異質であり、人間が3次元的な構造しか認識できないため、未知の存在を理解するのは難しいかもしれません。
ただし、比喩として「感覚が独特な人」や「変わったタイプの人」をユーモアを交えて宇宙人と呼ぶこともあります。
地球では奇異に思われる話かもしれませんが、それが現実なのか、比喩的表現なのかを問う必要もないのかもしれません。
宇宙人にとって地球が「アットホーム」ではないという感覚、これもまた生きづらさの一種なのかもしれません。
こうしたテーマを自由に綴らせていただく中で、「生きづらさ」という言葉で宇宙人を説明することに少し違和感を覚えるのも事実です。