今年は、例年よりも年内にイヤーリーディングを受ける方が多いように思います。何かご自身で整理をつけて新しい年に移行されたいのかもしれません。
しばしば「2020年は特別な年だった」とよく耳にします。それは行動変容を余儀なくされ、長らく当たり前であった価値観、考え方、意識を変えざるを得なかったからでしょう。すぐにはそれが難しい人たちもいれば、比較的スムーズに移行した人たちもいます。
いわゆる精神世界やスピリチュアル系の人たちにとって、むしろ「良い意味で特別な一年だった」というお声が多く聞かれました。(私の周りですが)
「今年は実は自分としては暮らしやすかったです」
「家でのんびりしてゆとりがありました」
「気付きがあり、落ち着いて自分と向き合えてよかったです」
と、肯定的です。仕事やしやすくなったり、家族や身近な人との関係が温厚になったり、制約がある部分はあるものの、かえって深まり充実する部分に気づいた方も多いようです。
さて、近年、2020年12月後半ともなれば、顕著に旧い何かが終わる!という説が飛んでいましたね。これは根拠のあることで、リアル地球を取り巻く惑星状況の変化を目の当たりにしているとも解釈できます。同じ事象をどういう意識で、どの観点から認識するかによって多少解釈は異なりますが、概ね、この「終わり」「終焉」を実感したり、目下リアルに経験していた方も多いでしょう。
あなたはいかがでしたか?
一体、何が終わったのか?
それは、概ね個々人の心理的な観点からすれば、「今まで、長らく辛かったこと」が終わります。
皮肉なことに、辛かったことは、最初は自覚があっても我慢するうちに当たり前になり、そもそも辛いことにある種の達成感や快感があったりしますと、「辛いことが」晴れて終わろうとするも抵抗が起こります。「辛いことが終わってしまっていいのか?」「終わった後がどうなるものかむしろ心配だ」といった具合です。
辛かったことは、個々人異なり、物理的な物事、体験などかもしれない、心情や感情的なことかもしれない・・・ほかにも、もともとは楽しくて素晴らしかったことが時の経過とともにだんだん辛いことになっており、その移ろいに気づいていない場合があります。
辛かったことが終焉を余儀なくされて、初めて「あぁ、辛かったんだな」「辛かったことを頑張っていた私えらい!」などと実感するのかもしれません。
辛いことと、苦痛はまた微妙に異なっており、辛くてももっと苦痛に思えることがあれば、辛さを手放したくありません。気付きを促すようなヒントがあっても、容易に見過ごしてしまうでしょう。
また、習慣的に良かれて思ってストイックにやってきたことが、実はもう効果はなく、ストレスや負荷のほうが強くなり終わるタイミングを探っているような場合も、この1年をかけて流れを変えさせる働きがあったはずです。
年内のクライアントさんは、お仕事を持っている方が多く、やはり仕事関連のことで大なり小なりの「辛かったこと」をすでに終えていました。また、ご自身でもうまく終わりへのタイミングを計れていたようです。
代表的なものは、やはり働き方です。通勤不要、あるいは、通勤の頻度が減る、ある程度自由な働き方になった、自分は通常どおりだが電車は空いていた快適に、などなど。
仕事上の立場や、プロジェクトなどの終わりを経験した方も多いですね。
心情的、感情的には、人間関係を伴う何かが終わるという方も多いようです。それが、別離、失恋、関わりの頻度などとなり、自覚する部分では悲しみや疎外感があるにせよ、深い部分では何かから解放されるような感覚があるようです。
さて、あなたはこの一年、「実は・・・何気に辛かったこと」のエンドマークにお心当たりはありますか?大なり小なり、意外なものかもしれません。
このように、実は辛かったことが終わる時も、プロセスの一部です。
「始まりと終わり」を決定づけるような価値観はこれまでの「地の時代」の特徴であり、今後、自由で流動的な「風の時代」になるほど、流れとして体験、体感するように自然になっていくのでしょうから。
辛かったことが終わるフェーズを実感すると、新しい風を歓迎しやすくなるでしょう。