通年あるあるテーマでもあり、年末のイヤーリーディングでも「来年は、もうイヤなことをやらなくて良くなりますか?」と気にされるクライアントさんは少なくありません。
それだけ、いつも、一年中、何かしら・・・
「嫌だな」
「しんどいけれど、やらないといけないから頑張ろう」
「もう何年も我慢していて、そろそろやめさせてもらってもいい頃か?」
と思いながら過ごしている方が多いようです。嫌に感じる度合いには幅があり、もはや慢性的に嫌々やるのが当たり前になっていることは珍しくありません。もしかすると、それほどネガティブでない事も、「もはや嫌なことに決まっている」と、自ら嫌な思いのスイッチを入れて取り掛かっているかもしれませんね。
嫌な物事とは・・・
仕事や職場など、日常の時間を多く費やすこと
先延ばしにしている為に嫌さが増している宿題や課題
家事や片付けなど「苦手・面倒な事」リストに入っているもの
嫌いな人や嫌なことがあった人物と関わること
過去のエピソードや感情が引っ張ってくる“嫌なこと”連想
心理的に嫌と認識していないが、体調がわるくなること
生理的に無理
などが挙げられます。
そもそもカウンセリングやセラピーでご相談される方は、ふだんは嫌だと思っている言動を表に出していないのが特徴です。出してはいけない、抑圧しすぎて出そうに出せない、のかもしれません。
「ふだん顔に出てしまっているかも」
「嫌です!オーラを出しているんですが、周りが気づいてくれません!」
とおっしゃる方もいますが、それがうまく表に出ていたら、内観モードの場でご相談されないと思われますよ。
クライアントさん方のようにご相談されていないにせよ、嫌々やっていることを
「もうやめたい!」
「来年はやめてやる!」
「あぁ。やめたいけど、やめてしまっていいのかなぁ」
「いつからやめよう(タイミングを伺っている)」
という場合は、こんなことをご参考にしてみてください。有益になれば由、何かしらご自身の振り返りと心の整理に使えたら由です。今回は3つのネタをご紹介させていただきます。
① 漠然と他人の目を気にし過ぎていないか?
本質的に嫌ではない場合があります。苦手、うまくできない、感情的な部分に引っかかっているなどの場合は、比較的表面的な部分を工夫し変えることで、感じ方が一変することはあります。
ご自分でどこが嫌に感じているのかを、客観的に書き出したり、潜在意識レベルに到達して洗い出してみると、枝葉の部分が嫌なだけで、根本的にはやりたい、むしろ好きだとわかる場合があります。
しかし、漠然と「他人の目」を伺っているためか、苦手な部分や不得手なところがデフォルメして感じられます。
「他人の目」とは、身近で具体的な人物からの評価や批判をされている(と感じている)とか、かなり漠然とした世間の意見や価値観(に重きを置いて)に反応している、などです。
具体的に「何が」嫌であろうと、他人や他人の集合体を気にし過ぎているときと、「嫌なことをやっている」が増幅する思いは比例しているようです。
特に嫌だと思いつつ、やめるも続けるも決めかねているときは、人の目や人の考えを気にし過ぎているために、自分自身の真意がよくわからなくなりがちです。人に気を取られず、ご自分の気持ちに集中すると気付きがあるかもしれません。
② 嫌なことの正体を勘違いしている?
嫌なこと、「やめたいこと」の正体を見誤っているかもしれません。そういう場合、どうにか決意して嫌なことややめたいことをやめても、暫くするとまた別のシーンで嫌〜な感じが再燃し、やめたくなります。それを何度も繰り返すことは非常に珍しくありません。
そして、さすがにご自分でも気付き「またやめても、同じように繰り返すかもしれないから、嫌だけど我慢して、やめないでいたほうがいいでしょうか?」とおっしゃいます。
半分は正解ですが、半分は正体が見極めるまで不正解ですね。
今年は仕事の無理と体質が重なり手術をすることになったNさん。
「入院することになったときは、あぁ、おかげで仕事を休めると、正直嬉しかったんです(笑)」とおっしゃるほど、だいぶ我慢をしてしまったご様子でした。
無事に手術を終え、リモートワークが浸透している時期とあって、退院後もそのまま長く会社を休むことができたそうです。その休みの間にだいぶご自分に向き合うことができて、思い切って、長らく我慢してきた会社から退職しよう、先延ばしにしていた妊活もしていこうと、心が決まったそうです。
ところが、ご自分の決断について、いつ頃がタイミングなのか、次は自分に合う仕事にめぐりあえるか、また同じように繰り返さないかを気にされて、スカイプセラピーでご相談されました。
類似するご相談はとても多いのですが、Nさんの場合は・・・
「よく考えること」というワードが出てきました。
Nさん「でも、考えすぎるより、直感的に行動するのも大事ですよね」
サイキックのリーディングでは、“何を”という主語が抜けやすいのですが、補足をしていくと「自分を、自分の人生を大事にしてよく考えること」ということのようでした。
私たちは、外側にある物事を、まるで我が身のように優先して考えてしまうことが当然になっています。仕事や将来の人生を我が身だと思って案じています。ここを読まれた“あなた”も、「仕事や将来の人生は我が身だ」と思っていらっしゃるかもしれません(笑)
自分の為に大事なもの、と、我が身は、似て甚だ非なるものです。
現代人は、そのあたりはごっちゃになりやすく、混同していることにさえ殆ど気付きません。すると、嫌だ、「辛いし、嫌だからやめたい」と思っている正体をとり違えていても気がつきません。
先のNさんの場合は、元の仕事に復帰したり、会社の仕事(お仕事の内容や会社で起こる諸々)そのものが嫌なのではなく、無意識の声は〈自分が嫌だと感じていること〉〈我慢していて、もう辛い〉〈やめたいけれど、いつ頃がタイミングなのか〉などを【嫌だ、やめたい】というわけです。
特に真面目て、今までも本心や感情を抑えて我慢することに慣れてきた方ほど、この正体を見誤ることが多くなります。
あるいは、(嫌だ、やめたいと思っている)事は、自分に合ってはいないのではないか?周りに迷惑をかけたり、周りが自分を嫌がっていないか、などと解釈し始めます。
Nさんも、このような筋書きなっている方も、そんなはずはないと顕在意識や思考では感じるのが当然です。
しかし、自分(我が身)を大事にしてよーく考えてみると、「無理をして我慢して苦しい状態、辛い自分をやめたい」ということになります。そうさせているのが、特定の経験、仕事、人物などだと目に見える存在に投影しています。自分の本心に対して意固地になっているときも、何か別の姿に投影して、その対象に向かって葛藤し、苦しんでいるようにすり替えることもあるでしょう。
ここが腑に落ちると、自分らしくいられず、自分が自分を偽っているような状態をやめればよいことになります。くれぐれも、今まで嫌だと思ってきた物事(仕事、人物など)のせいではないのです。が、それを実感するまでは、少しわかりずらいかもしれませんね。
念の為、このように何かに投影することは悪いことではありません。関連あるものを無意識が自動的に外の世界に拾うのは、本来は共生や協調しやすくなるための働きですから。
③ ゆとりをもつ
体力、気力、時間などなど、あなたが余裕、余力を蓄えることは、思っている以上にとても大切です。人それぞれ、なにがゆとりや余力かは異なりますので、たとえば、好きなことをやることがとても大事な人にとっては、それらが減るとかなりパワーダウンするでしょう。
おなかが空くとゆとりが無くなる人もいますよ!
心や人生にゆとりがなくなるほど、嫌なこと、正確には嫌だと認識することがどんどん増えていきます。
最近嫌なことが多い、イライラするまどという兆候を感じたら、なるべく早期に、あなたなりの「ゆとり」を確保しましょう。「ゆとり」は、元氣、あなた本来のエネルギーに源、パワーです。