私たちは、日々の生活の中で多くの情報や騒がしい環境にさらされています。
そのため、本当は自分にとって必要ではないことを、やらなければいけないと錯覚してしまうことがあります。
他の人にとっては必要なことでも、自分にとっては興味も関心もないのに、流れに流されて行動しようと頑張ります。
こうした時は、焦りや情報の速さに押し流され、自分が何を優先すべきか、冷静に判断する余裕がありません。
結果的に、本当にやりたいことや優先事項の高いものを後回しにしてしまい、不要なことに時間やエネルギーを費やすことになります。
そして、大切なことを後回しにした結果、気持ちに余裕を持つことや、リラックスする時間を失ってしまうことも少なくありません。
先延ばしにされるのは、為すことよりも状態が多いようです。たとえば、ゆとりや休息、豊かさや充足感など、です。
不要なことに振り回されている状況を発見することは、他者の基準による必要・不要かどうかから、解放される機会でもあります。
クライアントさんの中には、「不要なことをやり遂げなければならないのに、うまくいかない」と悩んでいる方がいます。
実際には、その「不要なこと」に気づかず、努力が足りないのか、どうやったら「不要なこと」を達成できるだろう、というジレンマ自己嫌悪に陥っているのです。
ときには、ポジティブ志向な方ほど、停滞感を感じてしまい、新しい「不要なこと」を探し出して、ますます疲弊することもあるでしょう。
例えば、健康管理に焦点を当てすぎて、結果や目標に囚われすぎると、本来の目的とはずれた「不要な意識」になってしまうかもしれません。
このようなときの特徴として、自覚なく「不要なこと」をやるほど、より消耗し、関連することで他人との比較をし始めるようです。
また、必要であることも、そのプロセスや関わり方のなかに不必要なものが含まれていると、その部分でストレスや消耗を感じるものです。
ほかによくある例として、何年も前には必要であったことが、今は不要であるにも関わらず、必要性に応え続けようとします。
過去のコミットに囚われたような図になります。
不要なことをやろうとしているサインは?
「不要なこと」をやっている可能の高いサインを、ここでは3つのポイントを挙げてみます。
① 結果や成果ばかりを気にしてしまう可能性があります。
不純さや打算が紛れ込み、初心や取り組み方に影響しているかもしれません。
そのためか、過度な努力や無理をしていると感じることに繋がります。
② 周りの人の評価や、他人と比較して自分を低く感じてしまうとき。
他者との比較が、良い感じのライバル心やモチベーションになるのではなく、苦痛や劣等感などに変わります。
このように感じることも「不要」と言えますが、気が散って集中できないようなこと不要なことが関わっているかもしれません。
③なんとなく不満やイライラが増え、自分自身がやりたかったことに取り組めていないことに気づいたとき。
怒りっぽくなっているという自覚があるようです。
これらは、不要なことに気を取られ、大事なこと、必要なことを優先したい気持ちに応えておらず、後回しにしているサインのようです。
不要なことをやるのが習慣から抜け出す
仕事や家事など、避けられない役割の中で「無駄」と感じることがあるかもしれません。
しかし、これが習慣化すると、プライベートな時間でも何が本当に必要かを判断する力が鈍ってしまいます。
ストレスや、やらされる感を伴う「やっておかないといけない」に変わっていきます。
対策としては、ふだん自分の裁量が効く場面や、日常の中で自分のハートや心を大切にするあり方が、ポイントです。
これにより、無駄だと思っていたことが、実は自分にとって有意義なことに変わることもあります。
若い頃の豊臣秀吉が草履を温めていたエピソードのように、何気ない行動が後に大きな意味を持つこともあるのです。
受け身から自発的な感覚へ
何が必要で、何が不要かを完全に見分けることは難しいです。
とはいえ、自分軸に沿って、感覚や直感に従いながら、少しずつ周りとのバランスを取り、自発的に行動してみると良いでしょう。
直感が教えてくれる「今、必要なこと」を感じ取る力が、少しずつ養われていくかもしれません。
たとえば、自分の感覚や感性を抑えてしまうことが多いと、咄嗟に、自分の状況に必要か、そうでないかの直感が鈍くなるようです。
直感で「わかる」ときは、ひらめきだけとは限りません。腹や丹田、ときには自然な体の反応や、周りの状況が指し示す、という具合です。
「自分に必要なこと、やったほうがいいことは何でしょう?」というご質問をされる方も少なくありません。
ケースバイケースですし、この質問自体、何かの情報や落ち着かない状態から発せられる可能性があります。
近年、私たちは情報や知識によって自分がわかったような安心感を求めがちです。
そこには、正しくわかりたいという、真面目さもあります。
一方、正しいか、間違いか、という分離した意識を越えた、「自分で感じる」という感覚や感情が使われにくくなります。
そのようなとき、「したいようにしたらいい」「自発的にやってみる」というふうに、遊び心や自由な気分を加えてあげると、今、必要な関わりがおのずと整い始めるようです。